2023年GPPJ総会pdp講演会 「pd が永久に不滅な理由(わけ)」
第一部 基調講演
講師:小梶弘美氏 元HPI研究所 事務局長
演題:「pd の有効利用を考える」
第二部 シンポジウム
座長:越智豊 GPPJ/pdp専務理事
シンポジスト:
小梶弘美氏 元HPI研究所 事務局長
川野真史氏 ⦅株⦆宇野 専務
セティシャイ オパーシャイタッ GPPJ/pdp副理事長
西田尚人 GPPJ/pdp 理事
橋岡優 GPPJ/pdp 会員
日時:2023年3月12日(日)12:40~15:30
場所:京都テルサ+Zoom
オープニング
越智:それでは只今より講演会を開催いたします。今回はジーピープログラムジャパン(GPPJ)設立20周年です。初めに小梶弘美さんにお願いして基調講演を行います。メインテーマは「pdが永久に不滅な理由(わけ)」です。pdが永久に不滅であることは間違いないのですが、pd診療の持続可能性に不安があることも事実です。後半はシンポジウムを行います。シンポジストの会員や商店の方と共に楽しいディスカッションをしたいと思います。
小梶さんのご略歴についてはご自身のプレゼンテーションの中で紹介していただくことになっていますので、私の方からは省かせていただきます。ただ、私が初めてお目にかかってから40数年が経っていて、ずっとビーチ先生と一緒に仕事をされてきた方で歯科医師ではありませんが、pdのこと、0コンセプトのことに関しては深い知識をお持ちですから皆で一緒に勉強していきましょう。
第一部 基調講演 「pd が永久に不滅な理由(わけ)」
講師 小梶弘美氏
小梶:皆さん、こんにちは。本日はこのような機会をいただきありがとうございます。私は年男で今年84歳です。HPIの仕事から離れて25年になります。ですから私にできるのは昔話です。しかし、ビーチ先生のお話は人間が中心ですから、内容はそれほど変わるものではありません。私の話が少しでもpd普及の役に立つのであれば幸いです。今日のスライドはセティシャイ先生に修正してもらったものを使います。操作は前村先生にお願いします。
基準の必要性の話は50年のものです。ビーチ先生とお会いしたときにこれからは基準を持たなければいけないと言われました。昔の旅人は星を頼りに行動しました。星は変わらないから基準になるわけです。人間も変わらないので基準になります。そこがビーチ先生の原点です。人間を中心に物事を考えましょうということです。Human behavior(人間のふるまい)というものを理解した人は、一粒の砂から人間の未来を予測できると言われました。ビーチ先生の考えは人間が中心だということがわかります。
私はいろいろな方にお世話になりましたが、特に忘れてはならないお二人の方がおられます。お一人が戸祭正雄先生です。開業医でレントゲンの大家でした。昭和35年以前歯科医院にレントゲンはありませんでした。その後皆レントゲンを買うようになったのですが使えないのです。現像・定着も全部自分でやっていました。モリタ製作所の依頼で戸祭先生が各地で講演を行いました。
私は父が急逝して中学時代の友人のお父さんが経営していた小さな会社に雇っていただきました。しかし、どうしても仕事に馴染めず困って戸祭先生のところに行きました。先生は私をモリタ製作所に紹介してくれました。私は技能実習生としてモリタ製作所に採用されました。朝8時から夜8時まで各部署を回り、一から勉強しました。戸祭先生がモリタ製作所を紹介してくれたお陰でビーチ先生と出会うきっかけができたのです。
もう一人の恩人は箱田由雄様です。この方は当時、森田歯科商店の技術開発課の課長さんでした。私は名古屋支店から大阪の大学の器械の入れ替えの手伝いに来ていました。その時に箱田様が大阪に来るように製作所にリクエストしてくれました。大阪に来てから北陸地区を担当するようになりました。「セールスエンジニアリング」というのが流行っていまして、器械の技術を知っている人が販売をするということです。一番初めの伝票がビーチ先生の作ったスペースラインだったのです。しかも第1号機です。このお二人がいなければ私はビーチ先生と会うことはなかっただろうと思います。
昭和40年の1月4日の1Day Seminarの話をします。ビーチ先生が四国で先生方を集めて行った、スペースラインを使った日本で初めてのセミナーです。高松と松山で行ったセミナーが好評でした。そのときに初めてビーチ先生の話をお聞きしました。一番印象に残っている言葉は「歯科医の仕事はパイロットと同じだ」「人間工学に基づいて治療を行うことが必要」「地球の重力に逆らってはいけない」「歯科医は座って仕事をしなければいけない」などがあります。聞いたときにはびっくりしました。
その年の2月に福井・石川・富山で1Day Seminarを行いました。初めは何故言われるのかわからないこともありました。例えば「観葉植物の葉っぱが汚い」小さな葉っぱは拭くのが大変です。大きな葉っぱにしたら、「それは駄目だ。小さな葉っぱできれいでないといけない」カーテンが少しでも汚れていたら「それは駄目だ」コードの色が黒かったら「これは駄目だ」など注文が多いのですが、初めは何もわかりませんから、言われるままに従っていました。セミナーはお陰で成功し、多くの方に来ていただきました。当時スペースラインをセールスすることが私の仕事ですから、やって良かったと感じました。
患者さんと話をしていますと「歯科治療はながい」「歯科医院はきたない」「歯科の治療費がたかい」「歯科の治療はいたい」「歯科の治療はわからない」という話ばかりでした。私たちは患者の気持ちは「なきたいわ」と表現していました。歯科治療は、麻酔はしないし、スピットンには血液が流れているし、コップは汚いし、言われてみたらこの通りだったのです。
そんなときにできたのがスペースラインだったのです。その後ビーチ先生によって歯科治療は大きく変わっていきます。麻酔を使いその日の内に治療が終わるようになります。即日処置はビーチ先生によって広まっていきます。スペースラインは診療技術と一つになっていたのです。他の器械とは根本的に考え方が違うのです。体の使い方があって、それにあった器械がスペースラインだったのです。この考えに基づいた器械というのは、私はスペースラインだけだと思っています。スペースラインは人間の体の使い方に合わせて作られたただ一つの器械なのです。
そのスペースラインを設置することだけを考えて空間のことを考えていませんでした。後になって、この器械は座って治療することに気付いたのです。富山市の先生でした。背板を倒すと何と先生の座る場所が無いのです。当時は全員立位診療でしたので、慌てて背板を起こして立位で診療するようにお話しして逃げるように帰ってきました。
セミナーを沢山やるようになると胴体付きのマネキンが必要になってきます。首の動きの再現が大変難しいのです。ビーチ先生からは人体測定をするように言われました。
次は「デンタルアナリストトレーニング」の話です。スペースラインが次第に売れてきたので芝原健夫さんの発案で勉強しようということになりました。私を含め20数名で始めました。モリタ社員以外にもSFD(Spaceline Franchise Dialer)の社員も対象に2日間セミナーを全国で行っていました。時間はいくらあっても足りませんでした。夜9時ごろまで皆とスペースラインについて勉強しました。このときに基礎ができたのだと思っています。
そのときの印象的な言葉がBHOP with HCM(Balanced Home Operating Position with Natural Consistent Movement) です。私が先生方に強調したのはHome Positionです。一旦離れてもまた戻ってくる場所のことです。残念ながら歯科の先生にはホームポジションが無かったのです。ホームポジションの必要性についてはすぐに納得していただけました。スペースラインを売るためにも良い言葉でした。売ることにもかなり自信をもっていました。
ところが当時見学に来られた先生から「小梶さん、高いゴミ箱を売りましたね」と言われてしまいました。これには驚きました。「先生の引き出しを開けたことはありますか?」と訊かれました。実は引き出しの中には使い古しの材料や使わなくなった器材、古い義歯などが入っていたのです。そのことを「ゴミ箱」と呼んだのです。スペースラインのキャビネットには、使われる器具がサイズに合わせて正しく収納されているはずでした。しかし、私は治療の話をせずにキャビネットを売っていたことに気付かされたのです。
そのときに教わったのが治療の4目的でした。「口腔内の衛生の確立と維持」「組織抵抗力の増強と維持」「好ましい力関係の確立と維持」「自然な外観の創造と維持」です。それから初めて私は歯科治療に興味を持つようになったのです。それまでは器械のことだけでした。
歯科治療の勉強をするようになって大事なことだと感じるのは「維持」ということです。健康を維持していくことと、もう一つ、治療後の状態を維持していくことです。健康維持は患者本人の問題でそれを補助するのが歯科衛生士です。健康なうちに歯科衛生士と出会うことが大切だと思います。
話は変わりますが、私がモリタ社員として歯科器械を販売しているときに、ビーチ先生から歯科医に「歯科器械とは何ですか?」と訊くように言われました。そして、ビーチ先生に教わったエクササイズをやってみました。そしてエクササイズと同じ答えの出た器械を買ってくれた諏訪先生が、大阪で初めてとなるOMU(Optimum Management Unit)の開設者のお一人です。カタログは使わずに体と体で感じていただくのです。今はそれがpdだったのだなと思います。
次の質問は「何処に空間が欲しいですか?」というものです。これにも驚きました。私は診療所の空間を見つけてそこに置くものを売っていましたから。そのときに初めて、空間は人のためにあるということを教わりました。
そんなとき、ビーチ先生の始める新しい仕事を一緒にやるようにと言われました。つまり、物を売る立場から、先生方に物が進入しないようにする立場に変えなさいということでした。
DPD(Dental Practice Development)です。私が迷っているときに諏訪先生のオフィスが御堂筋にできました。4人の先生が開設した2ユニットの間にDPDがありました。私より前に芝原さん、谷口さん、川口さんが参加されておりました。初めてOMUを見たときは大変驚きました。これをこれから作るのかという気持ちでDPDに参加しました。
私はビーチ蓉子先生の弟さんの水戸先生のOMUを千葉に作ることから始めました。大阪の私には千葉のことは全くわかりません。工事中のことですが、夜ホテルに電話がありました。ビーチ先生から「何か自分を必要としていることはないか?」という言葉でした。うれしかったですね。それまで上司からそんな気遣いの言葉をかけてもらったことは無かったです。この先生についていこうと思った理由の一つです。
モリタからの紹介で工事現場に一人の先生が来られました。照井先生です。その後、盛岡でOMUを作ることになりました。日本で7番目のOMUです。そしてOMUが完成してからチェックを受けたのですが、100か所以上の問題を指摘されました。これが私の最初のOMUの思い出です。
ビーチ先生と広い御堂筋を横断するときのことです。「二人が一緒に死んだら困るので別々に渡ろう」とビーチ先生に言われました。どちらか一人でも残っていたら仕事は続けられるからと、そこまで期待していただいているのかと感動しました。
モリタのデンタルセンターでのコースが多くなり、体の使い方のコースをスペースラインの使い方のコースと誤解されるようになりました。それでモリタから場所を移さないといけないということになり、検討することになりました。最終的に熱海が選ばれ、私が設計をすることになりました。
コースの受講者は大変増えましたが受講した先生方に設計の話をしないといけないということになり、DPDの熱海事務所が開設されました。教育センターの中に常駐することになったのです。それをきっかけにビーチ先生との関係が強くなりました。
そのようなときに高松の大きなプロジェクトが飛び込んできて基本レイアウトを担当しました。
そしてHCM(Health Care Model Dental)とHPI研究所という2つの組織ができました。HPI研究所の創立理事長はビーチ先生です。理事長に三木先生、事務局長に永井先生。HCMの理事長は磯崎先生、事務局長は私ということで始めました。ところが永井先生がブラジルの講演旅行中に急逝されました。そこで私が事務局長になったのです。ここまでが私とビーチ先生が繋がってきた経緯です。
ビーチ先生はお話し好きです。話の内容は仕事のことばかりです。食事中でも休み無しに話されます。質問が多く、それに答えなくてはならないので大変です。終わったと安心していたら別の角度から攻めてきます。話が変わったと思ったら元の話なのです。アプローチを変えて同じ話をしていくわけなのです。そのようにして、こういうことを言いたいのだとわかるようにしてくれるのです。
もう一つ困るのは自分のアイデアを一番初めに会った人に話すのです。何故そうするのか尋ねたら、自分の考えを誰かに伝えておかないと誰にもわからない。伝えておけば、その人がやってくれるかもしれない、ということで、とにかく最初に会った人に話をされます。組織的には混乱することにもなります。
もう一つ、ビーチ先生はRefineということで、物事をよく変えてこられました。そして一度変えてしまうと二度と元の話はされません。そういった風にどんどん進めていきますので怖いともいえます。しかし、ずっと前から積み上げられてきたものが今日ここにあるわけです。ですから、信じて実行していただけると良いのではないかと思います。
ここからは私の考えです。pd(proprioceptive derivation)の日本語訳の「固有感覚からの演繹」という言葉が難し過ぎると思います。演繹という言葉は説明し辛いです。個人的にはもっとわかりやすくべきだと思います。
「人間の生まれつき備わっている感覚を基にして導き出した仕様、条件」という言葉はビーチ先生が和田精密の会長に説明されたものです。私にはこの方がわかりやすいです。固有感覚も演繹も難しい言葉です。一般の人には優しい言葉の方がわかりやすいと思います。
pdはscaleであり、またjudgmentであるともお聞きしています。ですからいろいろな活用法もあると思います。
それからpdは時間がかかります。体で感じていただくわけですから相手がそのことを感じるまでには時間がかかるのです。セティシャイ先生がコースをなさっていますが、簡単に、はいわかりました、という反応は少ないと思います。時間がかかっても感じていただけたら結果は出せるようになります。ですからpdはとにかく時間がかかるものだと覚えておいてください。
物の形には、機能・形・場所・位置・動きが関連してきます。機能が変われば形が変わります。
位置と場所は難しいです。
コーヒーカップの柄が右側にあるか左側にあるかで受け取り方が変わります。
また「機能物は時として、自然な動きや正常な感覚を阻害し、その効果を著しく損ねるものであり、これら人間の活動に仕掛けられた機能物の表面の線による罠を[Line Trap]と言って特に注意が必要である」とも言っておられました。
自分が持っている正常な感覚を狂わせる罠から逃れなければなりません。罠によって自分の正しい体の使い方が変えられてしまうのです。だから機能物を作る人はそういう罠に気を付けて形を作らなければならないのです。例えばハンドピースについて。モリタのハンドピースは良いと思います。ビーチ先生はモリタのハンドピースの形を見て、これができるのであれば、私の考えが達成できるのではないかと感じたそうです。ところがスペースライン用に開発されたハンドピースが体を曲げて治療する先生の器械にも付いているのです。使い辛いはずです。
残念だと思います。メーカーの方はもっと勉強してほしいと思います。罠にはめられないためにはpdで検証する以外にないのです。だからpdは永遠なのです。人間がある限り続くのです。
次に感覚の話です。感覚の中で一番騙されやすいのが視覚です。ミラーの使用は大変難しいです。多くの先生に見えているのか尋ねると見えていないと答えます。どうやって削るのかと言うと勘で削ると答えます。普通の先生は削っては見て、削っては見てということを繰り返します。しかしセティシャイ先生は一筆書きで削ります。途中でバーの回転を止めることはありません。普通の先生は覗き込んでも見えないところは勘で削るしかないのです。
実際の動きは反射的に行われます。反射的に行うためには頭を安定させる必要があります。座って診療するのはそのためです。長時間頭を安定させるためには座らなくてはならないのです。座っていても頭が安定しないのであれば、あまり意味がありません。
私はpdの一番の価値は人間の空間だと思っています。ビーチ先生からはSense of Freedomという言葉で教わりました。例えば、車の運転中に横を走る車が幅寄せしてきたらどのようにハンドルを切りますか。少し切りますが安全を確認したら戻しますよね。また寄ってきたら離れますがそれ程大幅には離れません。安全を感じる空間がSense of Freedomです。
次のスライドは私がお世話になっている診療所です。すごくきれいです。治療以外でこの診療所に来ると落ち着かないという人もいます。分院は私がデザインしたのですが、 事情があってこちらで治療するようになった患者さんも落ち着かないと言います。
本当は先生も感じていたはずなのですが、慣れてしまうのです。慣れてしまってそれが当たり前になると感じなくなるのです。(ここでデモ:肘掛けの無い椅子2脚を用意して対面で座る。距離を遠ざけたり近づいたりして丁度良いコンサルテーションのための位置関係を確かめる)このような検証をやっていくとOMUができるということになります。実際に私はそういうことをずっとやってきました。
最後にごみ処理解決法について話します。1か月使わなかった物があれば6か月棚に移します。6か月使わなかったら1年の棚に移動します。1年間使わなかった物は廃棄予定場所へ、2年間使わなかった物は廃棄とします。
必要な器機を選ぶにあたってはビーチ先生から進歩の基準というものを教わりました。それは、快適性・安全性・単純性・経済性・時間の短縮です。これらが以前の物よりも優れているのであれば取り入れても良いけれど、何の基準もなく新しいものを増やすべきではない。その方が自分にとっては快適だということです。
世の中も進歩していきますが選択にはpdが鍵になります。pdは確かに難しいのですがいろいろな使い方があっても良いと思います。例えばセティシャイ先生がやっておられるように人間中心にpdベースで歯科治療をするとあのようなスタイルになるわけです。多くの先生には情報技術のひとつである数字用語などはまだまだ浸透しているとはいえません。
最終的には最小の資源・ストレスで最大の効果を発揮するということが目標です。資源の中には人間の叡智も含まれます。それは患者にとっても先生にとっても良いことでなければなりません。そう考えるとこのpdというものは非常に大きな役割があると思います。ご清聴ありがとうございました。
越智:受診者にとっても医療者にとっても、そしてそれを支えていただいているメーカーやディーラーの方にとっても貴重なお話、ありがとうございました。10分の休憩を挟んでシンポジウムに移ります。
第二部シンポジウム
座長:
越智豊
シンポジスト:
小梶弘美氏川野真史氏セティシャイ オパーシャイタッ
西田尚人橋岡優
越智:それでは只今よりシンポジウムを始めます。三原先生から川野さんのご紹介をお願いします。
三原:今日は(株)宇野から川野専務にお越しいただきました。開業当初からお世話になっている商店さんで一人だけではなかなかできないpd診療に関して、宇野さんの営業の方々に助けていただきやってきています。最近はpdpの活動にも積極的に参加していただき、7月に企画したワークショップには宇野さんから10名のご参加をいただいております。会員になっていただけるというようなお話も伺っています。
小梶さんのお話にもあった北陸(福井)を中心に活動をされていて、創業は1949年で、その当時からビーチ先生のセミナーをサポートされていたと伺っております。今日はよろしくお願いいたします。
越智:私事ではありますが、40数年前に卒後すぐでしたが研修のために福井市の隣の鯖江市で、セティシャイ先生に引き続きわずかの期間ですが過ごしたことがあります。
小梶さんからはいろいろな情報をいただいたのですが、中でも、多くの歯医者は勘で削っている、つまり見ないで削っている。そしていつの間にかそれが習慣になっているという話がありました。私たちは誰もが知っていることなのですが、一患者さんの立場として川野さんはそれをお聞きになって、どうお感じになりましたか。
川野:素直にショックの一言です。自分の5歳と7歳の子供に定期検診を受けさせるのですが、それを妻が知ったら行かせなくなるのではないかと思いました。
越智:ショックじゃないわけがないですね。でもほとんどの患者は知らないです。自分が削られている時は、歯科医師がどうやって削っているのか見えないです。苦しそうな姿勢で必死に見てやってくれているのだろうと思っていただけているのだと思います。
それでは、一体大学の教育はどうなっているのだろうと想像していましたか。
川野:やはり、実技を学び研鑽を積んで知識を蓄えて、晴れて歯科医師として現場に出てくるのかなと思っていました。
越智:普通そう思いますよね。ただ大学は職業訓練校ではないのですが、卒後すぐに国家試験に合格すれば歯科医師のライセンスがいただけて治療することが可能なわけです。それなのに実地教育がほとんどなされていないというのは変な話です。橋岡先生に伺いますが、今の大学での実地研修はどのような感じで行われているのでしょうか。
橋岡:私も今は少し離れていますが、各大学の各教授の考えによって異なります。厚労省の定める実地研修が定かでないのです。そのため教授が独自で行っているのが実情です。大学自体が資格を取得することが目的になっていて、国立大学と私立大学とでは大きく違っています。歯科医師免許を取れないと話にならないので、私立大学では免許を取得するための予備校のようになっています。そのため免許を取ってもそのまま現場で仕事ができるのかというと非常にクエスチョンです。
私の息子は今歯科大学の1年生ですが、2年生から実習が始まるようですが何をするのかは不明です。やはり国家試験のための座学に重きを置いている印象は否めないです。では臨床家としてやっていくための技術はどこで身に着けるのかというと、卒後に行われる研修医の1年間で詰め込まれるようですが、研修医施設もどこを選ぶのかによって大きな差ができるとは聞いております。つまり大学は国家試験のための学問をするところだと私は認識しております。
越智:大学の問題ではありますが、話を伺うと国の責任が大きいようにも思えます。西田先生は卒後、大学で研修医を過ごした経験がおありですか。
西田:そうですね。卒後、大阪大学で1年間研修医をやりました。やはり、大学では形成等もほとんどやらずにレポート提出に明け暮れる日々でしたので卒業時は何もできない状態でした。私の場合は幸いに三原先生からpdを研修医時代に教えていただけましたので早くこの方法と出会うことができました。他の同級生の話を聞くと、形成や姿勢などは職人が技を盗むような方法しか教えてもらってないようでした。ですからシステマティックな方法を教えていただいて大変助かりました。
越智:つまり、指導する人間の知識や論理が確立されていないということだと言えますね。そういう若く悩める歯科医師の多くを指導されているセティシャイ先生に伺いますが、アンケートも実施していると思うのですが、ミラーが使えないといったようなデーターがありますか。
セティシャイ:スライドを見てください。
これは直近3回の事前アンケートの結果をまとめたものです。3つの課題を並べています。Positioning・Handpiece・Mirrorです。質問はどこで習ったのかについてです。
Positioningに関しては学校で習ったと答えた人は24名中4名しかいません。どのくらい教えてもらったのかは不明です。コースで習ったというのが8名で、これは我々の行ったコースです。自己流というのがなんと5名です。決まってないと答えた人が6名です。
次はHandpieceの使い方についての質問です。学校で習ったと答えた人が3名、コースでと答えた人が8名、自己流は4名、決まってないが12名です。ほとんどの人は習ったことが無いのです。
Mirrorは学校でと答えた人が3名、コースで習ったが9名、自己流が4名、決まってないが10名です。
一番重要と思われるこの3項目に関して、ほとんど習ったことが無いというのが現実です。あり得ない話だと思います。卒後1年間研修医として過ごしても、ほぼ技術を取得すること無く終わるのではないかと思うのですが、実際はどうですか。そうだとすると1年間を無駄に過ごすということになりませんか。
橋岡:無駄ではないとは思いますが、実際には大学は国立と私立で2極化していて、私立は国家試験の予備校と化しています。まずライセンスを取らないと意味が無いので在学中に実技を習得するような実習はやりにくいと思います。国の制度の問題だと思います。
また、学生の中には臨床家を目指すのではなく研究者を希望する人もいます。教育者を目指す人もいます。そういう人にとっては実技が必要なのかと言うと、そうではないのかもしれません。1年間の研修医制度を国は推奨していますが、中にはお金を払って実技を身に付けるために勉強会に参加する人もいます。しかしそれは少数で、見るだけで1年が終わってしまうことはあると思います。
セティシャイ:車の免許を取る時には教習所に通いますよね。路上に出るときには横に教官が座りますよね。ところが歯医者の場合はそういうやり方が無いのです。国家試験に合格すると経験が無いままいきなり路上を運転するようなものです。これでは事故ばかり起こしますよね。
橋岡:確かにあり得ないことですよね。私は現在51歳です。20何年か前に国家試験を受けた時は既に学課しかありませんでした。諸先輩方の頃は人工歯排列や歯型彫刻があったと伺っています。1982年位から廃止になったようですが、その頃から国は間違っていると思います。研究者と医療の提供者の両者に重きを置く必要があると思います。
小梶:臨床研修に関してですが、大学教授は国家試験の合格率を大変気にしています。実習を受けるにしても、院長が責任を持つから何でもやれば良いといったことを言われるのです。どう責任を持つのかはわかりませんが。
越智:聞けば聞くほど怖い実態が見えてきます。実は僕らの学生時代では、勿論ライセンスの無いときに上の教官に見てもらいながら、実際の患者さんの形成をさせてもらっていました。良い時代だったとのも言えるし、患者さんは怖かったのかなとも思うのですが、それ無しにライセンスを取ってすぐに何かをやろうとしても困ると思うのです。では、具体的にどういう風に研修するのが良いでしょうか。例えば、以前pdの環境とカリキュラムを準備した大学をビーチ先生がタイに作りましたよね。その後どうなりましたか。
セティシャイ:ある程度やっていたのですが、古い勢力の反対にあって途中からうまくいかなくなりました。反対する古い世代・前の世代の問題は世界中同じだろうと思います。歯学というのは西洋から伝わってきた科学で、歴史は1000年もあるわけです。しかも初めから間違ったことをやってきたとも言えます。間違ってはいたのですが、残念ながら誰もその間違いに気付かなかったのです。
今、政府の責任という意見も出ているのですが、政府を構成している人たちの多くは歯科医師なのです。しかし実態を知らないのです。実態を知らなければどうやって解決すれば良いのかもわかりません。何もわかっていない人たちの集団です。
その1000年の歴史の中でビーチ先生だけがおかしいということに気付いたのです。わずか60年前に発見はされたのですが、1000年の歴史を簡単に覆すことはできないのです。ビーチ先生が発見したものを大学に取り入れようとしても取り入れられないのです。理解されないのです。
越智:そのビーチ先生が発見した、間違いを正す活動を小梶さんも一緒にやってこられたと思います。今現在、それが次第に普及してきたという実感は正直言いまして無いのです。ビーチ先生のご努力も含めて普及活動に関してどのように感じておられますか。
小梶:残念ながら今のところ何もできていません。と言うのは、バリアーが増えてしまって今までできていたことができなくなっているように感じます。ユーザーからの要求がなければメーカーは動きません。ユーザーの要求がある物を作って売るというのは当然のことですが、結局ユーザーが変わらないといろいろ難しいということです。理想的なハンドピースの条件をいくら説明しても数がそろわなければナカニシも作りません。
pdユーザーのように数が少なければ必要な器具も手に入れることができなくなります。そうなれば仲間も増えていかない。仲間を増やすにはどうすればよいのかを違った角度から見ていく必要があります。ユーザーの数が増えれば、作る方は作るようになります。売れますからね。
話は変わりますが、ゴルフ場のような良い空間は、広くて都心では高過ぎてできません。だからゴルフ場は皆郊外にあるのだと、昔ビーチ先生は言っていました。歯科診療所も都心ではOMUを新たにつくることは大変困難です。ビーチ先生はスポンサーがいれば良いのだと言っていました。ゴルフ場のように郊外に作るという訳にもいかないので小さな診療所になっていきました。普及が困難な理由にもなっています。
越智:確かに我々のNPO法人はpdの普及が大きな目的で、そのためにできることはやってきているつもりではあるのですが、目に見える成果はでていません。今、小梶さんが言われたように売れないものは作らないけれども、必要なものは必要です。そこで売る側としてのジレンマのようなものはありますか。
川野:この場に来るまではジレンマを感じるということは無かったです。僕らはユーザーの先生に迎合するようなことが多かったと少し反省しています。小梶先生が言われた進歩の基準ですが、あのようなものを元にして我々が商品を一つ一つ精査して提案していれば胸を張って販売できると思います。まだまだやらなくてはならないことがあるのかなと思いました。
越智:私も国が悪いとか言いましたが、受診者も自覚が無いし関心が無い。我々歯科医師も周りが皆駄目だったら自分だけがきちんとやる必要は無い、といった悪意は無いとしてもできないことが習慣となってしまっている。サポートしていただくメーカーもディーラーも深い知識があるわけでは無い。
ということから全体で良くしていくために活動していかないといけないと思います。そのためにコースをしたり、商店向けのワークショップをやろうとしたりしているのですが、何か他にやらないといけないことはありますか。
西田:話を少し戻しますが、先ほどの小梶先生の話でナカニシが望ましいハンドピースを作ろうとしないということだったのですが、それは9時のポジションで形成する人に合わせて作るから話が合わないという意味でしょうか。
セティシャイ:モリタ社がエアーベアリングのタービンを作らなくなったので、どうにかして作ってもらえないだろうかと考えました。メーカーは滅菌の問題があってボールベアリングに全部切り替えています。しかしボールベアリングのハンドピースで削ると感触が全然違うわけです。違いを知ってもらうために人工のエナメル質を削ってもらったのですが、ドクターではないので、感触の違いが伝わらないのです。
小梶さんの話にもあったように触覚はとても大事なのですが世界中を探してもエアーベアリングを作るメーカーが無いのです。ナカニシに頼んでみても、そういう技術は持ち合わせていないということで最終的には断られました。ハンドピースの話はこういった意味です。
西田:ありがとうございます。コース等をやっていく中で、ユーザー側からこれでなくては駄目だという声が上がってこなければいけないと思います。地道にコースを行いながら良さを分かってもらうことが基本的には必要だと思います。自分自身の場合、pdをやって、F3も勿論そうなのですが、ポジションを身に付けて良かったなと思います。
12時のポジションを予防矯正では0時のポジションと呼ぶのですが、そこから見ることによって、歯列や顔貌の非対称性というのもよくわかります。姿勢にも影響すると思うのですが、9時のポジションでは得られない正確な情報を得られるのでそういった意味でもpdは診療精度を上げるためにも必要だということを日々感じています。HC-0という考えも重要ですし予防という点をもっと訴えていくことでユーザーも増えていくのではなかと思います。
越智:ありがとうございます。セティシャイ先生から話のあったエアーベアリングのハンドピースは製造も販売も終わっていますが、メンテナンスも今月20日で終了します。ですから、今お使いの物で多少不備があればすぐに修理に出さないといけません。そして我々もそれが使えなくなったら、果たしてpd普及ができるのだろうか、というレベルになります。メーカーもユーザーもそれ位重い責任があります。責任ではないのかもしれませんが、期待し、お願いし、何とか力になってほしいというのがpdユーザーの正直な気持ちです。
小梶:これは私が以前から使っている口腔模型です。診査が大事だと思います。先生たちはいつも同じ位置から口の中を診ていますから、悪ければすぐにわかるのです。他の先生はいろいろな位置から診ているのでわからないのです。pdの基本なのですが、削ることよりも先に始めなければならないと思います。レストの指でも感じる、これもpdだとビーチ先生から教わりました。削らなくても口をそういうようにして診るという習慣を皆で作っていけば良いのです。
今、私が情けなく思うのはテレビで見る歯科のコマーシャルは、背板が起きた器械の映像だけなのです。あそこで水平の診療台が出てきたら凄いことだと思います。だけど実際には変わりません。我々だけが変わっているのです。誰もが真っすぐの姿勢で口を診るようになればベッドの方が良いに決まっているのです。
越智:そうなのです。しかし、なかなか主流派にならない理由としてはミラーを見て削るということが普通の人が思っている以上に、卒業した若い先生が思っている以上に困難なのです。模型実習でなんとかできても、実際の患者さんは、咳き込む人がいたり、舌が動いたり、大量の唾液が出たり、痛がったり、口を大きく開けてくれなかったりします。そのような条件でミラーを見ながら正確に削ることが必要だと分かっていても、その技術を習得しようとするエネルギーが途中で消えてしまうのです。実際にコースをされていてどうでしょうか。
セティシャイ:とても難しいですね。コース日程も4日間でやっていた時もあったのですが、いろいろ見直して最終的には2日間になりました。時間は十分かというと全然足りない。しかも卒業して時間の経った先生を対象にやっていますから、使える時間はかなり限られています。結局、根本的には大学の教育現場に入っていかなければ駄目だと思います。教育現場だけでも不十分で厚労省や文科省の中に入っていかないと無理なのではないかと思います。
越智:そうですね。ビーチ先生も確か厚労省へのアプローチをトライしたことがありましたよね。
小梶:いえ、それはしてないでしょう。
セティシャイ:私も聞いたことは無いです。初めての試みがタマサト大学だったと思います。
越智:何か暗くなるので流れを変えたいと思います。西田先生、大阪大学の研修医の頃にたまたまだと思うのですが、三原先生の指導を受けたのでpdの道が開けたと仰っていました。偶然ですか。
西田:卒後pdを目指そうとしたわけでは無いので、偶然ですね。所属した教授との繋がりがあって、三原先生とのご縁があったのです。早い段階でpdと出会えたのは凄く良かったなと思います。まだ自分の型が定まっていない状態だったので凄くスムーズに受け入れることができました。これがもし、5年、10年と9時ポジションでやっていたら、受け入れることは難しかっただろうなと思います。
越智:ありがとうございます。では、同期で三原先生が指導したのは西田先生お一人ではなかったと思うのです。その他の人はpdの道に進まなかった。何が違うのでしょう。
西田:僕自身がピュアだったのかもしれません。右も左もわからない状態でma16の形成とかどうやればいいのかわからなかったです。しんどいなと思っていたときに、pdを教えてもらいました。
周りの人も同じだったと思うのですが、何故その道を選ばなかったのか、例えば他でバイトをしていてそちらの影響が強かったとか、所属する科の先生の影響とかによって他の道を選択されたのだと思います。それと、ミラースキルは確かに習得が難しいのですが、そういったことが先入観のようにあって、別の道を歩むようになるのかもしれません。
越智:橋岡先生はどういうきっかけで、pdの道を進むようになったのですか。
橋岡:私はpd診療をされている歯科医院に最初に勤務したのです。卒業してすぐにそこに勤務したのですが、私の親は歯科医療とは全く関係ない仕事でした。大学の友人や先輩と歯科医師免許を取ったあと、将来何をするのかという話をよくしていました。ほとんどの人が開業医になるということでした。大学に残る道を選ぶ人もいますが、定年もあります。そのあとは開業医になります。それならば、一番無駄無く開業医になる方法は、良い歯科医院に勤めることだと思ったのです。
ただ、卒業した時には良い歯科医院がどこかはわからなかったのです。たまたまその時の広島の材料屋さん(SFD)の方を私が知っていたのです。その方と話をしたときに「どこの歯科医院がまともな治療をしているのかは、材料屋さんが一番よくわかる。何故かというと、どういう材料が出ているのかを知ればコンスタントにどのような治療をしているというのがわかる。」といったことから、患者さんにとってより良い治療をしているであろうという所を紹介してもらいました。そこがたまたまpd診療をしている所だったのです。だから私もpdしか知らないで始めました。Feelは無かったけれどもHPOがありました。トレーもライトも可動式だったのですが、ホームポジションで学びました。体が曲がっていたら院長先生に肩を叩かれながら診療していました。私も西田先生と同じくピュアだったので真面目に診療に取り組んでいました。
私たちは非常にマイノリティーな存在だと思います。歯科医師の中では1割にも満たないわけです。その人たちがいくらメーカーやディーラーに要求しても利益が見込まれなければ拒否されるわけです。私たちがやっていることは間違いではないと思いますが、マイノリティーである限り、何年経っても広がることはないだろうなと感じます。熱海のHPIで研修を受けられた先生は凄く沢山おられると思います。その先生方はどうして離れていったのでしょうか。
越智:私に答えられるかはわかりませんが、人間の集団は基本的に、好き嫌いで決まると思うのです。例えば、派閥というような言い方もしますが、志を同じくする同志というよりも、気に入っているとか、かわいがってもらっているとかが大きいと思います。実際に我々のグループの変遷をみても、ビーチ先生の発案でpd普及のための組織がいろいろ繰り返し作られてきましたが、会が変わるたびに離れていく先生がある一定数いるのです。
このGPPJが作られたときも、それを契機に離れていった先生もかなりいます。それは、続けていきたいという人と反りが合わないとか、あの人が辞めるのであれば一緒に辞めるとかです。だからpdが嫌で辞めたという人はそれ程おられないと思います。ただし、組織から人が離れていくと、考え方がずれていったり、基準がわからなくなったり、新しい物を欲しがったりしてマイナス面が増えていくだろうと思います。何故離れていくのかというとこの会でも直近で楽しくない、つまらないという理由で辞めた方もおられます。正直な気持ちではないでしょうか。
小梶:最初にOMUを作ったときにこれでは、皆ロボットになるのではないか、個性が失われるのではないか、という声が多かったです。実際には基準がしっかりしていると、逆に人間の個性がはっきり出てきます。セティシャイ先生のようなきれいな診療所と、汚い診療所の二つに分かれてしまうのです。その汚い診療所の先生はだんだんpdから離れていきます。汚くなってもそれに慣れてしまうのです。セティシャイ先生が偉いのはそのままで何10年もやっているのです。それで歯科診療はきちんとできているのです。
他の先生がいろいろ変わっていくのはメーカーの責任なのです。例えば検査器機はどんどん発達していくかもしれませんが、だからといって正確な治療ができるようになるわけではありません。患者さんの満足度が十分に得られているのであれば変える必要はないのです。周りに惑わされないようにしてほしいと思います。何かそれが無いと人が来てくれないのではないかと考えるよりも自分を信じることです。アマルガムの時代は結構きっちりとやっていたのですが、新しい充填材料が増えて何の基準も無く使うようになってきています。アマルガムが既に無くなっていますから、守りたくても守れないといった状況になってきていると思います。
橋岡:私は50歳を超えているのですが、まだまだと思っています。皆さんは、離れていったのではないと思うのですが、おそらくミラースキルがある程度身に付いて、見えない所をミラーで見ながら削れるようになれば、それはベーシックつまり基本なのです。実はもっともっと研鑽すればもっともっと何かがあると思っています、ピュアですから。しかし、例えば教習所で車の運転を学び、免許を取得して10年後20年後にまた教習所通いをするのかいうと、行かないですよね。そういうことじゃないのかなと思います。私が最初に勤務した所の先生にホームポジション、ミラー、0ポジションを教えてもらいましたが、今は息子さんと一緒に治療されています。ユニットはイムシアとかに変わっていますが、勿論今でもミラーを見ながら削っているのです。
最初のベーシックから離れてはいなくて私たちの目に見えないところで広まっていると思うのです。それが数として認識されていないのが大変残念です。ユーチューブとかインスタグラムとかのソーシャルネットワークではクリックするだけで数がカウントされます。私達も物を作ろうとする場合、人数が増えればマイノリティーではあってもメーカーさんが作ってくれるようになると思うので、昔の先生にもフォロワーになって、「いいね」を押してもらえるような方法が必要だと思います。会費を年間500円で1万人集めることができれば500万円です。
今のZ世代の人たちを見てみると、誰誰がやっているからやるとか、誰誰から「いいね」と言われたからやる、とかなのです。高い志で動くというのは中々困難です。難しいことを言えば言うほど離れていきます。こちらから押し付けても駄目です。気付くまで待つしかないです。そんな時代になっているように感じます。
越智:確かに情報発信に関してはユーチューブに代表されるような動画配信が無限にありますよね。コンテンツとしてpdpの出しているものは皆無といってよいので、これをやらなくてはいけないというプロジェクトはあるのですが、セティシャイ先生、その後どのような感じでしょうか。
セティシャイ:進展が無いのです。今コースを中心にやっているものですから、時間がとれないのです。総会でも話したのですが、1年中ミーティングです。毎週のようにどこかでミーティングをしている感じです。そのたびにどんどん課題が増えていきます。処理できる人がかなり限られているのです。取り敢えず、情報を整理して今参加していただいている方に更にpdを深く理解していただき、間違った情報を流したり、自分だけの解釈で「マイpd」になってしまったりということが無いようにしないといけません。「マイpd」になってしまったら収集がつかなくなります。レーティングをやるとしても「不合格」というのは禁句に近いのです。
もしも深く理解できたら一言でわかるようになります。そこまでできる人がかなり限られているのです。実はその活動をサポートしていただけるのはここにおられる全員なのです。この全員がまだpdを普及させようという志をもった特別な人間なのです。橋岡先生が言われたように一度できるようになった人は離れていきます。ここにおられる方は大変貴重なのです。自己犠牲とまで言ってよいのかわかりませんが、高い志を持った方で深く感謝しています。だからもっともっと深く入っていって欲しいと思います。
小梶:セティシャイ先生といつも話すのですが、普及と追及は別だと思うのです。追及はとことん追求して頂点まで行きます。普及は緩くなります。縦軸と横軸の関係で、縦軸をのぼる続ける人の一方で横軸を広げる人も必要なのです。ただし、横軸の基準を決めておかないと滅茶苦茶になります。追及するメンバーだけを増やすことは大変難しいです。セティシャイ先生の弟子が3人位いないと無理だと思っています。いずれにしても一人で二つのことを同時にやるのは難しいと思います。
西田:先ほど小梶先生から普及と追及という話が出たのですが、普及する上で例えば最先端の器械(マイクロスコープ)に乗るような方向に行かない方がいいと僕は思います。と言うのは、先ほどの講演の中で出たドクタービーチの4目的で、確立と維持という大切な言葉があります。強いて、どちらが大事かというと、維持、メンテナンスだと思います。維持ができれば最小限の物でよくなります。商店さんを前に話しにくいのですが、器械を売ることに専念されておらえると思います。われわれグループはそちらではなくてメンテナンスを中心に考えていけばその考え方に同調する方は大勢おられると思うのです。予防にシフトしていると思いますので、その辺はどうでしょうか。
セティシャイ:われわれは治療することで自分たちの生活が成り立っているわけです。予防というと、中々難しいです。そのように教育されていないし、治療で生計を立てている人に予防と言うと、両立は簡単にはできないと思います。治療は厚労省の管轄です。保険の範囲でいろいろ規制をしてきます。
予防と言うのは国のレベルで考えないといけないと思います。予防省を設立していかないと無理じゃないでしょうか。国民に対する情報提供や教育ですね。そういう風にしないとドクター任せでは無理なのです。ドクターが、例えばPMTCとかを自費でやっていたのが急に保険適応になるとかしたら不都合が生じます。ですから別の管轄が必要になると思います。今回のコロナもHIVも同じなのです。現状は悪循環に拍車をかけているようなものです。厚労省は気付いてほしいと思います。
越智:確かにわれわれ医療を提供する側も受ける側もそして物を売る人たちにとっても一番大事なのは教育レベルだと思います。本当に必要なものは何なのか、真の富とは何なのか、幸せとは何なのか。セティシャイ先生が言われたように小さいうちから学校教育の中で健康とは何かを教えることが正しくできていればこんな現状にはなっていないはずです。それを一個人あるいは一グループで予防が大事だと言うのは正論ではあるのですが、余りにも弱いです。やることは大事だし、皆さんやってはいるのですが実証するためには国レベルでやる必要があります。それが、叶わないのであれば、自分たちでやれることはやっていこうというのが現実的な路線でしょう。
橋岡先生に声をかけられた商店さんは実に見る目が凄いですよね。商店さんの責任重大だと思うのですがいかがですか。
川野:例えば我々もセミナーの提案をするのですが、やはり、麻生先生や磯崎先生のセミナーはすぐに満席になるようです。個人的に思っているのは、マイクロスコープとミラーワークの親和性が高いので勉強したいということで受講される。そこにpdというベースがあると考えれば、一つ一つの動きに意味があるので普遍性があるのだなと今回お聞きして感じました。
ですから、それだけを進めると商売という、使用価値よりも価値だけで話をしていくようになってしまうので路線がずれるかもしれない。しかしpdは普遍性があるので、いろいろなことに対して応用が効くと思うのですが、自分が必要なものだけを学べれば良いというのが今の人のスタンスのようにも感じます。逆にpdをやることによって最終的にはこうなりますよ、といった形が見えるようになれば、部分的に入っていった先生が次のステップに進むようになって、マイpdが本流のpdに移行していくのではないかと思いました。
小梶:私が思うにモリタにその気がないのです。私たちが以前、何故ここまでできたのかというと、モリタが本気だったからです。今のモリタには全然感じません。Feelを注文しても納品が何か月も先になる、これでは商売になりません。モリタがFeelを売るためにどうしたら良いのかを真剣に考えるべきです。売れれば利益が出るのですから。私は根幹となる器械を売る努力をしていないことが一番の問題だと思います。メーカーが言わなければディーラーも売らないですよ。だから私は根本はモリタだと思います。
越智:確かにそうかもしれませんが、当時驚くような数のスペースラインが売れたわけです。今から思えば考えられない数字をたたき出しましたね。その後どうなったのでしょう。
小梶:台数だけは増えたけれども形を変えるたびに段々コンセプトが忘れられてしまったのです。モリタの器械は次第に他社に近づいていきました。一方他社はスペースラインに近づいて境界線が無くなりつつあります。モリタも売りたいために独自性を犠牲にしてしまったのです。肝心なコンセプトをモリタは失ってしまったように見えます。私は凄く残念です。我々はモリタを出てしまったので、その流れを止める人間がいなかったのでしょうね。今はpdスタイルと言いながら本来の姿ではなくなっていっています。
セティシャイ:2か月ほど前、デンタルショーがあってコース資料を集めるために出かけてみました。主に診療台を見て回りました。診療台の横にはセールスマンがついています。どれも多機能で、その機能を説明してくれるのですが、私が「あなたはこの診療台で治療を受けたことがありますか」と尋ねると「ありませんが、似たような診療台で治療を受けたことはあります」という答えが返ってきました。「あなたの歯はどうですか」と訊くと沢山治療しています。「あなたが本当にこの診療台が良いと思って売ろうとしているのでしたら、実際にこの診療台で治療を受ける必要があるのではないですか」「この診療台にマネキンを置いて歯を削ったことはありますか」と尋ねました。どのセールスマンも「無い」という回答でした。「経験が無いのにどうして他人に勧められるのですか」と尋ねると誰も答えられないのです。
必要はわかるけれどドクターと同じことをすることが怖いのです。怖いのに何故勧めるのでしょう。セールスマンだけでなくエンジニアも歯を削った経験が無いのです。ではどうやってデザインするのかというと、有名な先生の意見を聞いてデザインするということでした。何も経験がない人たちが集まって、器械のデザインをして作った器械を歯科医師に売るということをしてきたのです。
我々はpdという考えから「絶対にFeel21が良い」という主張をしているのですが、世界中でも我々のこの組織しか無いのです。「他の診療台が絶対に良い」と勧める組織はどこにも無いと思うのです。この組織は凄く貴重だと思います。この我々の勧める原理原則を、メーカーも含め一丸となって進めてほしいと思います。良さがわからないと売る気が無いということになります。販売台数だけで判断して、「pdは落ち目だ」と思われては困るのです。
皆さんはpdではないところで治療を受けて、結果がどうなっているのかを知ることはできてないと思います。知っていればもっと本気になると思います。私たち歯科医師は毎日他人が壊したものをやり直しているのです。多分ここにいる全員が毎日他人の壊したものを見ていると思います。だけども信じてくれないので中々人には言えません。
越智:僕も毎日再治療をしています。酷い治療を見ています。その患者さんを生涯診続ける歯科医はほとんどいないわけで、いずれ他の同業者に見られることは認識しているはずです。誰がこんな治療をやったのだろうと思われることに疑念を抱かないのかなと思うのです。でも皆思わないのです。自分も同じようなことをやっているからです。皆が駄目なのであれば、私も駄目で構わないという負のスパイラルに陥っているように思えます。卒業直後などはそうではなかったと思うのです。それがいつの間にか、周りもそうだから私もそれでいいという風に常態化しているようです。それもpdが普及しない理由の一つでもあると思います。
最後に何か言い残したことはありませんか。僕たちは例えピュア―な少数派であったとしても今後pdを絶やさないという責務があります。僕らだけでなくメーカーもディーラーもそうです。さて、どうすればpdが絶滅せずに済むでしょうか。
橋岡:先ほどの講演でpdはscaleまたはjudgmentであるというお話を伺いました。私はpdとは「良心」ではないかと感じています。つまり、心に問いかけるものであって、私の場合、治療をしているとき「君はそれでいいのか」といつも誰かに言われているような気がするのです。その声に対して「間違いない。OKだ」と答えられるのは見ながら治療をしているからだし、できているからです。
それが、pdは「良心」だという理由です。人は誰でも自分の中に良心を持っているはずです。その良心を確立することができるものなのかどうか。自分で判断できるものなのかどうかということが、先ほどのscaleとかjudgmentということなのではないかと思うのです。だから、それを引き出せるかどうかが大事だと思います。
ピュア―じゃないといけないと思うのですが、少しでもpdに関わった人に手を挙げていただき、例えクリックするだけでも良いので母体を増やすということが重要だと感じます。
西田:今日、ご出席の先生方に比べると、僕は経験不足です。pdを不滅にするために僕は、ビーチ先生の教えを忠実に実践し、地域の歯科診療を通して、健康の維持・確立をしていくことを追求していきたいと思っています。その結果、pd普及に繋げることができればと思っています。
川野:我々歯科ディーラーは毎週毎週先生方のところへ、フェイス・ツー・フェイスで商売をさせていただいております。つまり、家族の次くらいに先生方とコミュニケーションをとっているわけです。歯科治療のできる資格を持っているわけではないので、こうしなさいと指示することはできないとしても、アドバイスはできる立場だと思いました。社員一人一人が知識を蓄えて、困っている歯科医師がいれば、助けることができる準備ができる環境を整えておきたいです。そうすることによって歯科業界が良くなればと思っています。
小梶:今日は久しぶりにHPIの話ができましたが、私自身が忘れていたこともありました。pdpの先生達がこういうことを一所懸命に考えていることを知りまして、ちょっと安心しました。このpdという問題は、簡単なようで、その神髄は難しいです。ビーチ先生が仰ったように、人間がベースですから、常に物事を人間をベースにして考えていくことが大事です。
今先生方も仰っていますが、そこにいつも引っかかってくるのが経済なのですね。経済が邪魔をしてpdの本質をずらしてしまう。お金の問題も一緒に考えていかないと難しいと思っています。pdはこれからもずっと続くと思います。もしもできることがあれば私も参加したいと思います。
セティシャイ:私は出身がタイなのですが、日本に来たときには、ほとんどお金も無かったです。しかし、ビーチ先生のお陰で今があるわけです。OMUを引き継いだときに、果たして自分の力でやっていけるのだろうかと不安でした。しかし、やるしかなかったので、がむしゃらにやってきました。OMUはOptimum Management Unitということなので、やっていけるということが暗示されています。正しくやれば、必ずやっていけると思いました。それを信じてやって今日まできました。
確かに経済的な問題はいろいろあるのですが、深く知れば知るほどビーチ先生の素晴らしさがわかります。全部教えてもらえました。その通りにやれば、ほとんど間違いが無いのです。失敗することがあるとすれば、それは多分どこかで誤解しているからだと思います。きちんと理解できていれば、やっていけると思います。それで、まだpdを知らない先生に是非自信を持たせたいなと思います。これからも頑張っていきます。
越智:皆様ありがとうございました。長い時間お疲れ様でした。最後に私から、この「pdが永久に不滅な理由(わけ)」というタイトルを決めた理由を説明します。
小梶さんも言われたように、pdは人間がベースです。人間は肉体です。誤解している人もいるのですが、脳が指令するアウトプットというのは、100%筋肉収縮なのです。話をすることも文書を書くことも、勿論歯を削ることもそうです。脳が何をしているのかというと筋肉を動かしているのです。その肉体は何千年、何万年と変わっていないのです。それをベースにしたpdが無くなるわけが無いのです。だから、皆様、是非協力してできることをやって、本当に不滅であることを証明しましょう。以上をもちまして、講演会を終了いたします。