副理事長 三原丞二(みはら じょうじ)
1957年12月生まれ 大阪出身 血液型0型 宝塚市開業
Beach先生亡き後のpdpの存在価値を占う重要な時期で理事長の重責を担う羽目になって4年間、なんとか職務を全うし、実力派理事長に席を譲ることができたと思ったのも束の間、なんと副理事長のご指名を受けました。まだ利用価値があると思っていただけたのかと、真に受けてあとしばらくはpd普及のために頑張りたいと思います。
亡き父と兄がBeach先生に師事して歯科臨床の研鑽を重ねる姿を横目に歯学部を卒業ました。親子3名の歯科医という境遇のなかで、伝え聞くBeach先生の斬新なコンセプトに耳を傾けながら、意地を張りながら大学に残ったことを決意したことを覚えています。大学では、一般・小児・障害者臨床の研鑽を積む傍ら、細菌学・歯周病の研究を行い、在籍16年の間にアメリカへの2年間の留学を含め、多くの経験をさせていただきました。本来ならば、大学人として、教育・の研究・臨床に命をささげるはずでした。「臨床を科学する」と兄に大見栄を切って始めたものの、Beach先生の理念の方が大学の臨床研究より、はるかに科学的であり論理的であることを実感していきました。そして、40歳を機に大学を辞し、かねてからの夢であったpd CLINICの設立を果たし、その後はpd環境でのpd臨床に没頭してまいりました。今思い返すと、卒後1年目に受講した熱海HPIでの12日間ベーシックコースで歯科医人生の方向を指南されていたのかもしれません。pd原理とともに、Beach先生の0をベースとした論理展開(0based Reasoning/ 0 Concept)は、一般臨床の手順や情報管理にかぎらず、自ら新たな目的行動を起こすとき(具体的には基礎研究のデザインの立案した際や、教科書さえもなかったころに障害者対象の歯科臨床や教育を模索した際)に、限りない力を与えていただきました。これまでの肩書に「副」をつけて頂けた分、セティシャイ先生の新コース開発のお手伝いやpd環境維持のための活動などにFOCUSを絞って活動してみたいと思っております。コロナがひと段落する間もなく、ロシアのウクライナ侵攻..といつでたっても落ち着かないこの世で、ブレることなく充実した歯科医師人生を送れるヒントがここにあることを是非、若き方々に知ってもらいたいと思っています。